水商売。ある新人女性。

仕事も慣れてきたくらいの時に、新人さんが

入ってきた。第一印象は、暗い人。

あまり、喋らないし、体も細く痩せている。

顔は、水商売らしくはない華やかさの微塵もない女性だった。年齢は、21くらい。

髪は、肩くらいまであった。

その新人さんが入って2週間ほど、経ったくらいに、出勤してきた姿に驚いた。

髪の毛が野球少年のように短くなっていた。

しかも、ギザギザというか自分で切ったような

感じだった。さすがに声をかけた。

どうしたの?その髪…

女性は泣き出し答えた。

一緒に住んでいる男性から切られたと。

彼氏?と聞くと違います。もう1人女性もいて

3人で住んでいます。

毎日、レズショーなどやらされています。そして、髪を…と。

何故、そんな風になっているのかは深く聞かなかったが洗脳されているのか、外には働きには

出れるが監禁のような状態なのか。

心配になった。その女性もあまり多くは語らなかった。

私と店の女の子で、話し合い、その女性の家に乗り込み男に、女性を解放しろと言いに行く事にした。

店の店長、ボーイさんにも着いてきてもらい、インターホンを押した。

中から、男がでてきた。

同じ年くらいの男で、普通にいそうな感じの印象だった。そこには、同居している女性らしき人と、店の女性3人で玄関にでてきた。

私達は、店の女性を迎えにきた。

今すぐ解放せよと。

そのまま、寮に入れるつもりだった。

店の女性に行こうと言った時、

その女性が言った。

私は、行かない。

この男が好きだから…

と。

一同、えっとなった。

びっくりした。

もう一度聞いた。

しかし、首を振って行かないと言って

部屋の中に入っていった。

私達は、そのまま帰った。

帰りは、皆黙ったまま。

次の日から、その新人さんは出勤することはなかった。

 

 

人生初の水商売

隣町のキャバクラで働く事になった私は、

化粧の仕方をしらなくて、すっぴんのまま

初出勤。

同居している女の人は、チェーン店の別の店で勤務となった。

さすがに、すっぴんでの出勤は皆驚き他のコンパニオン達が私の眉毛を整えてたり、化粧をしてくれたりした。

失うものがもう何もない私は、がむしゃらに頑張った。お店が終わったら、真っ直ぐ寮には帰らず毎日のように飲み歩くようになった。

赤ちゃんの事が頭から離れなくて、辛く、

オムツの宣伝をみるだけで涙が止まらない日々だった。

朝まで呑んで、ヘトヘトになって寝る。

死にたくても死ぬ勇気もない。

だから、自分からヤクザに文句を言ったり、

喧嘩売りに行ったりととにかく荒れていた。

ヤクザは、私なんかが喧嘩を売ったところで、意気のいいねーちゃんやな〜って笑ってかわされた。

当時水商売に働きにでている女性は、今の水商売のような感じではなく、訳ありな女性しかいなかった。

私も、毎日地獄ではあったが、他の女性の

人生もなかなか凄いものだった。

次のブログは、その女性達の人生を少し書きたいと思う。

隣町へ

タクシーから降りた私は、残りの200円で

アルバイトニュースを買い、夜のお店に残りのお金で電話をかけた。

すぐ住み込みで働けるようになり、そのまま店に行き寮に案内された。

凄く汚いマンションでいかにもでるっという感じだったが、どうでもよくなっていた私はそのまま寮へ。布団もない状態でその日は眠りについた。

母乳が溢れてしかたなかった。

退院後まだ2週間くらいだった。

タオルハンカチで抑えていた。

オープニングスタッフだった為、まだ出勤はなく1週間後から働くとなっていたが。

お金もなく3日間、何も食べずに横になっていた。このまま死んでいいと思っていたからだ。

寮は2人1部屋だったが私は1人で住んでいた。

意識が朦朧としているとき、新しい女の人がやってきた。同じ部屋の人らしい。

倒れている私に話しかけてきた。

よろしくお願いします。

私は、無言で横になったままだった。

しばらくすると、その女の人は外にでていき

飲み物とお弁当を買ってきてくれた。

食べりっと言って私の横に置いてくれた。

その女の人もお弁当を食べ始めた。

3日ぶりのご飯。のり弁。

食べれないかと思っていたが、全部食べていた。

3日間何も食べていなかったせいか、母乳はもう出なくなっていた。

地獄

父親の癌も自宅治療になり、一安心となっていた。

19歳だった私は、パチンコ屋のお客さんとよく遊びに行っていた。

その中の1人が、凄くよくしてくれていて家に行ったりもしていた。

いつものように遊びに行くと、監禁状態にされ

婚姻届に印鑑を押すように強要された。

私は、家から一歩も出されず、その男の家族も家にいて見張られていた。

男は、酔っ払って帰ってきては、DVをしてきた。私は、いつも殴られて逃げ出す機会を伺っていた。

夜中、酔っ払って帰ってきたので逃げ出した。

お金もないけど、タクシーに乗り実家にはかえらず親戚の家へ。

実家には、やはりあの男がやってきて暴れている様子。警察を呼んでも、民事だからと帰っていく。

あの男と住んで?3ヶ月

実は情も湧いていた。

こんな私を好きになってくれたと

こんな私を好きになってくれる人は

この男しかいないと思い自分であの家に

帰った。

6ヶ月たった。妊娠した。

男は喜んだ。病院には行かせてくれた。

お腹がどんどん大きくなってもDVは止まらなかった。殺されると思い、何度も警察に相談したが、結婚したあんたが悪いと。なにかないと動けないと。言われた。

何かって、私が死なないと動かないという事だとわかった。

長い監禁と、情と、恐怖と、洗脳で私は逃げ出す事を諦めた。

陣痛がきたので病院に行った。

酒に酔った男は分娩室の外で大声をだしている。なかなか、赤ちゃんが降りてこず、陣痛促進剤を使ったが破水。

産婦人科の先生は、帝王切開をどうしてもしたくなかったらしい。理由は、あんな男とは別れた方がいい。だから、お腹には傷は入れたくないと。

しかし、破水したので緊急帝王切開で出産。

女の子だった。

可愛くて、くまのぷーさんのぬいぐるみ作ったりした。

退院後は、しばらく実家にいていいと言われたので実家に帰る事になった。

たまに、赤ちゃんを連れて男の元に帰る日もあり私が赤ちゃんを世話してるとヤキモチをやき

赤ちゃんを投げたりした。

赤ちゃんにさえ手を上げるのかと思い、すぐ実家に帰った。

実家に帰って1ヶ月がたつか経たないかといったときに、男の家に電話をかけると女がでた。

浮気をしているらしい。

すぐに赤ちゃんを親に預け、私はその現場に行き別れます!と告げタクシーに乗ろうとしたとき男は鎌を持って追いかけてきた。

殺されると思った時、今まで監視役だった男の

母親が後から男をはがいじめにし逃げなさい!と大きな声で叫んだ。

私は、タクシーで隣の街まで逃げた。

タクシーをおり、所持金は200円。

家に電話をし、赤ちゃんは後から引き取りに

行くから、それまで見ていて欲しいと連絡したら、親が赤ちゃんは男に渡した。

外で暴れられると父親が学校の先生を辞めないといけなくなるからという理由だった。

私は、それから死ぬ為に生きるようになった。

 

 

発作

いつものようにモノレールにのり、仕事に向かっていた。

急に冷や汗と動悸。

なんだ。これは。私は死ぬのか?

倒れそうになったが、なんとか次の駅まで

持ち堪え階段を降りている最中にガーンと頭の中を大きい音とともに記憶がなくなった…

お客さん!お客さん!もうすぐ救急車来ますからねっと遠くで声がし気がついた。

意識は朦朧としている。

救急車が到着し、病院に運ばれた。

病院に着いたら、倒れた時に階段で強く頭を打ったらしく、いろいろと検査になった。

頭部異常なし。

倒れた理由も不明。

そのまま帰宅した。

 

 

 

 

父親が癌

家出後、3年たったある日。

母親から手紙がきた。

父親が癌になった。

今すぐ帰るようにと。

迷ったが、家に戻る事を決意。

家に戻ると、すぐさま母親に言われた。

父親が癌になったのは、あんたのせいだ。

心が壊れそうになったのを覚えている。

それから、父親は癌治療をしていたが

あまり病院へは行かず、話もあまりしていなかった。

相変わらず母親からの嫌味や愚痴を毎日、嫌になるくらいあびせられた。

私はパチンコ屋の店員をしていた。

家出の3年間は、賄いが出る飲食店で働いていたが、実家に帰ったので、給料がいいパチンコ屋の店員になったのだ。

しかし、飲食店で働いているときは大変だったが楽しかった。

私が作る料理を人が幸せそうに食べている。

ある日、いつものように厨房で作っていると

1人の70代くらいの男性が声をかけてきた。

怒られるっ料理が不味かったのかなっていつもの思考回路で身構えた。

その男性は、この料理を作ったのは誰か?

と言われたので私です…と小さい声で答えた。

本当に美味しかった!ありがとう!

また来るよ。

びっくりした。怒られると思ってた。

気づいた時には涙が止まらなかった。

人に褒められたのは初めてだった。

人に認められたのは初めてだった。

自信がなく、人の顔色ばかり伺っていきてきた

私は人生で初めて感動と嬉しさを感じた。